『づんく棒』と『さす股』
肘折温泉の周辺には、いくつもの鉱山跡が残っています。その中でも、とりわけ肘折温泉と深い関わりがあったのが『大蔵鉱山』。1764年から1780年に、新庄藩主の戸沢氏が金鉱採掘のために開いた鉱山です。銅よりも金を多く産したことから大蔵鉱山はゴールドラッシュに沸き、たいへん栄えたそうです。しかし、そのために豊富な金を狙って盗人・盗賊の輩が横行。新庄藩は防止策として、鉱山につながる山道に〈関所〉の仕組みを小さくした『番所(峰)』を設けました。肘折温泉で『番所』の番人に抜擢されたのが、『旅館林蔵』のご主人・八鍬林蔵さんのご先祖。かつての『大蔵鉱山』の隆盛は、現在では語る者もなく、鉱山跡地も樹木に覆われてしまいましたが、旅館林蔵の玄関先には藩主から拝領した『づんく棒 (突棒)』や『さす股』が家宝として残されています。