『内湯あり』のポスター
現在の肘折温泉では、あたり前のように旅館ごとに工夫を凝らした温泉浴場が設置されていますが、明治の終わり頃までは、旅館内に浴場(内風呂)があるのは珍しかったそうです。内風呂を備えているのは源泉にちかい旅館が主でした。素朴な湯治文化を今に伝える『三春屋』にも当時は内風呂がなく、お客さまは温泉街に2つある共同浴場『上の湯』と『疝気湯』を利用していました。その後、時代の変化に対応して、大正初期に三春屋旅館にも温泉が引かれたそうです。『内湯あり』の絵は当時の宣伝広告で、念願のお客さま用の内風呂をもった旅館の軒先に飾られたそうです。なお、今でも旅館以外の肘折住民は、自宅にお風呂があっても共同浴場を使用する人が多いそうです。〈内湯のない文化〉も、地域内のコミュニケーションに一役かっているようです。