『大山守』の免状
その昔、肘折周辺の深い山々や、そこに生い茂る樹々は、村の共有地として手入れをされ、誰の所有物でもなかったのですが、江戸時代にはいり、山林は戸沢藩によって厳密に管理されるようになります。『山奉行』と呼ばれる藩役人が山林を巡回し、村々に盗伐を防ぐ役目を担う〈山守〉をおいたそうです。ここ肘折温泉では、新庄の武家から嫁がきていた『横山太兵衛家』が山守を任されていました。藩政末期の嘉永6年(1853年)に任命され、その4年後の安政4年(1857年)には1段高位の〈大山守〉に任命されたそうです。横山家にはその証しとして、今でも『大山守の免許状』が残されています。山奥の湯治場・肘折は、温泉を継承する〈湯守〉だけではなく、山守の里でもあったのですね。