『大蔵鉱山』夢の跡

『大蔵鉱山』夢の跡

明治の終わりから金と銅の採鉱がおこなわれた『大蔵鉱山』の興亡の歴史は、激動の昭和史とともに、肘折住民の記憶に強く刻まれています。休日には肘折温泉に沢山の鉱夫が訪れ、温泉につかって重労働による疲れをほぐしました。鉱山街が築かれたことで、学校の児童数も増加。村はさながらゴールドラッシュの形相を呈していたそうです。しかし現在、鉱夫たちとその家族が暮らした街は跡形もなく、ただ荒涼とした原っぱが山裾にひろがっているのみ。製錬所の煙突や壁の一部だけが、繁茂する樹々に半ば埋没しながら、ひっそりと日本近代の夢を伝えています。人々がここで働き、生活を営んでいた事実も幻のように感じられます。近年では、その〈廃墟の美学〉に惹かれて鉱山跡を訪れる人々が増え、『大蔵鉱山』夢の跡「〈近代遺産〉として保存すべき」という声もあがっているとか。