『秋葉山の碑』と大火の記憶

『秋葉山の碑』と大火の記憶

肘折温泉は宝永6年(1709年)から享保13年(1728年)の間に、3度の火災に見舞われています。記録には「夜半肘折村残らず全焼」とあり、壮絶な大火であったことが伺われます。木造旅館が密集する肘折では、火災がひとたび起きれば延焼は免れません。大火以降、たくさんの湯治客を迎える温泉街では、様々な火災対策が講じられ、その伝統は『火の用心の夜回り』をはじめとする肘折地区の活発な活動として現代に受け継がれています。また、神仏の力を借りて火災を免れようと、村人たちは『薬師神社』の登り口に石碑を建てました。碑面に彫られた〈秋葉山〉とは、静岡県周智郡秋葉山にある火伏せ『秋葉山の碑』と大火の記憶(鎮火)の神・軻過突智(かぐづち)のこと。ご利益にあやかろうと、宮城県仙台市の瑞宝寺の住職・南山道人に碑文を隷書してもらい、それを元に碑文を彫ったと伝えられています。